瓶詰の話

小学1年のころ通っていた耳鼻科医院で医師があるとき、デスクの傍の
キャビネットから茶色い瓶をだして、蓋をあけ、ピンセットで扁桃腺をつまみ
だしてみせてくれた。扁桃腺のいっぱい詰まった標本の瓶だったのだ。
なぜそんなのをみせてくれたのか想い出せないが、その瓶は彼の宝ものに
見えた。風邪で腫れてやっかいだとじゃまにされ摘出された医療ごみとしての
きもい扁桃腺。そんなものでも瓶にためればそれなりに独自の価値をもち
ふしぎな魅力をだすものだと、幼い心にも思ったものである。

切除された体の一部は、瓶のなかで永遠の命を与えられたのだ・・・・。
そんなことが遠い昔にあってか、“食玩”などのちいさなものは瓶詰めにして
コレクションしてきた。

よくある安手のプラスチックケースや重く高価なガラスケースより、瓶のほうが
中のが1コだけでもイキイキと輝いてみえるのだがどうだろう。
べつにシリーズ一揃い集まらなくても、シリーズの脇役や片割れでしかない
ものであっても瓶の中で主役となり独立して少宇宙を形成するのである。

手に持ち、くるくるまわしたり底からのぞきこんだりして愉しむのはなんとも
いえぬ変態倒錯的な歓びがある・・・・。これが瓶詰のもつ魔力なのだ。

管理人の趣味ではないが、どこかで顔写真の添付された少女の唾や尿の
入った瓶を買い求めてくるヘンタイなやつらのきもちもある程度までは
わかるというものである。 瓶に詰められた尿は尿以上の価値をもちそのような
やつらを虜にするのだ。もっとも、すぐに瓶からのんだり、ゼリーの素をまぜ
ゼリー化してたべてしまうのが殆どかもしれないが・・・・

・・こどものころ通っていた耳鼻科医院は その扁桃腺をあつめていた医師
の死去にともない廃院となって建物も消えたが、あの扁桃腺コレクションは
どうなってしまったのだろうか。医師は扁桃腺のほかには何をあつめていたの
であろうか?ろう